第14回横浜山手芸術祭参加作品
Jasmine Way(舞踏:加藤道行×歌:莉玲)主催、幻夢シアター~間(あわい)の道行き~無事終了いたしました。
ご来場に皆様、合手伝いいただいたスタッフの皆様ありがとうございました。
会場が重要文化財の「外交官の家」ということで、この空間がある意味影の主役という舞台でもありました。
1月の回では、会場に一葉式生け花教室の作品が飾られた華やかの雰囲気の中での上演でした。
花の精に踊らされるという不思議な感覚で舞いました。
歌手の莉玲さんには大正ロマン的なものをコンセプトに横浜にゆかりの深い「赤い靴」などを歌っていただきました。
お客様からはそのコンセプトを感じとっていただけたのか以下の素敵な感想をいただきました。
この道は いつか来た道 開幕に歌われた山田耕筰の童謡は、いつか来た「天から母に繋がる道」を歌っているように聴こえた。
ああ、そうだよ と言う歌詞の掛け合いが続く。 覚えていないのに懐かしい、遠い昔の記憶の道へ、また還っていく魂の背を優しく押す天の使いとの問答のようだった。
旧い洋館で歌われる歌はそれぞれ、横浜らしいもの、異国へ渡った者を思わせる切ない選曲だったように思う。
赤い靴を履いていた女の子は、異人さんと海を渡りニューオリンズの女郎屋へ流れ着いたのだろうか? 選曲者が意図したものとは違うかもしれないが、そのメドレーは一人の女の一生を見せられているように感じた。
かつて、こんな一生があったかもしれない。 今もどこかでは、リアルタイムで続いている境遇のひとつかもしれない。 冒頭、席に座らせられた人形が、自らの人生を振り返っているか、これから生まれ変わる、次に体験する人生を見ているかのように思えた。
もし今までに歌われたような人生を送ってきたならば、深い痛みも苦しみも哀しみもあっただろう。 もし、これからの人生を先に見て生まれるなら、驚きも落胆もあっただろう。
最後には、ホロホロと光る精が人形を抱いて階段を昇っていったが、それは魂が天へ召された〈終焉〉なのか、また生まれ変わる〈始まり〉なのか? どちらにせよ、彼女は自分の人生を肯定し、満足して昇って行ったように見えた。
決して明るく幸せな歌ばかりには聴こえなかったのに、だ。 人生がたとえ荒波の連続であっても、水面に射す陽の光の尊さは損なわれないように、どんな人生も等しく愛しく価値があるのだと私は信じたい。 彼女と共に。
2月の回は、1月と打って変ってガラス細工の作品の中でそ上演でした。
ガラス細工が醸し出すはかなげの雰囲気の中、踊りもより繊細なものとなりました。
この回は、ギターの清水さんにも参加していただき音楽もいっそう厚みが増しました。
娼婦のシーンでは、海から吹きつける風がいっそう強くなり、素晴らしい自然の効果音を得られました。
観客には、小学生のお子さんもいましたが、食いいるようご覧になり、帰宅後日記に「自分もこころをこめて歌いたい」と書いて私の持っていたお人形の絵を書いてくださったそうです。
劇場とは違いいろいろと制約があり、大変な面もありましたがそれを上回る楽しみがある作品となりました。
また、様々な歴史的な空間で上演してこの作品を育てていけたらなと思います。